バスク/ナバーラ/アラゴン縦断旅行記

2004年6月11日(金)

● ゲルニカ篇 (その1)

 バスク鉄道(Eusko Tren)に乗って、20時37分ゲルニカ着。ホテル・ボリーニャ(Hotel Bolina)へ。駅を出て正面にある道を真っ直ぐ進み、2つ目の角で右折。ダブルのシングルユース/TV付き/シャワー付きの部屋で、35.37ユーロ。

http://www.hotelbolina.net/

 夕食は、駅前にあったレストラン“Hang Zhou”にて、「アロッス・コン・トレス・デリシオッソス」と「ベヘターレス・サルテアードス」を食べてきました。デザートもつけて13ユーロ。

――と、ここで終われば、すごいところで豪華な食事をしてきたように見えるかも(笑) 苦情が来ると困るので、打ち明けておきます。「杭州飯店」で「具三種入り炒飯」と「野菜炒め」を注文したのです。要は、中華料理ですね。

2004年6月12日(土)

● ゲルニカ篇 (その2)

本日の出発地は、ゲルニカ(Gernika、現地語ではLumo)。人口1万6,000人の小さな町なので、夜に出歩いて騒ぐような不埒な輩もおらず、町の中心にあるホテルだというのに静かな朝です。

 09時40分、チェックアウト。駅にコインロッカーは無かったので、観光する間、ホテルで荷物を預かってもらうことにしました。まず市場に寄って、朝市の活気を観察。それから市役所(Ayuntamiento)、サンタ・マリア教会(Iglesia juradera de Sta. Maria de la Antigua)、パシレクコ広場(Plaza Pasilekuko)など主だった建物を見て回る。

 10時13分、バスク議事堂(Casa de Juntas)。入場無料。ゲルニカが小村でありながらその名が知られている理由のひとつとして、ここが民族の聖地であることが挙げられます。この建物の裏手には「ゲルニカの木」というのがありまして、この樫の木の下でバスク民族が結集したという故事があります。さすがに300年前の古木の方は枯れてしまっていて、現在は1860年に植えられたもの。いわば、バスク独立の象徴。建物の天井は、木の下で団結を誓い合う様子を描いた巨大なステンドグラスになっています。

 隣接してバスク美術館(Euskal Herria Museoa)があり、こちにはビスカヤ地方(Bizkaia)に縁のある品々が納められています。入場無料。この地域出身の画家の作品など、結構見応えがありました。訪問者の記帳を眺めてみましたが、ここまで来る日本人は滅多にいないみたいですねぇ。なにせ『地球の歩き方』には、議事堂しか紹介されていないという惨状ですから。

 小一時間ほどで主だったところを巡り終えたのですが、何か足りない。そう、ピカソ分が足りない。ちなみに「ピカソぶん」はピカソの絵に含まれています。

 ゲルニカが世界に知られているのは、彼が描いた大作『ゲルニカ』によってでしょう。ここで世界史をおさらいしておくと…… 1936年7月、スペインに内戦が起こりました。共和国政府に対し、フランコ将軍率いる反乱軍が蜂起したのです。「内戦」と呼んでいますが、その実は第二次世界大戦前夜の世相を反映したものでした。人民戦線(=民主主義側)を英仏ソ連が、フランコ(=ファシズム)を独伊が支援するという、列強の代理戦争がスペインを舞台に展開されたのです。そして1937年4月26日、ナチスドイツの爆撃機がゲルニカを廃墟に変えたのです。1939年4月、フランコ側が勝利宣言をして内戦は終了。以後、1975年11月にフランコが死ぬまで、スペインには独裁体制が続きました。先頃、日本でも公開された映画『蝶の舌』は、内戦に巻き込まれた村での出来事を描いたもの。老先生が共和国を支援した政治犯として逮捕されフランコ派に連れ去られていく時に少年が「チョウの舌!」と叫ぶ場面は、こうした歴史的背景を知っていると心に染みます。

 フランコ体制を嫌う多くの知識人が亡命。その中には、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を《再発見》したことで知られるパブロ・カザルスや、画家ピカソがいたのです。特にピカソは、ゲルニカへの無差別攻撃を聞いて憤り、白と黒のモノトーンに戦争への怒りを込めて描き上げ、パリ万国博覧会に出品したのです。民主主義の象徴となった絵画『ゲルニカ』(地名とは綴りが変わって、Guernika)は、「スペインに民主主義が戻る日に」という遺言に従い、1981年にスペインへ。現在、マドリッドの「ソフィア王妃芸術センター」に納められています。

【参照】 http://museoreinasofia.mcu.es/

――というわけで、ゲルニカ(の町)に来たからにはゲルニカ(の絵)も見たいというのが心情というものでしょう。で、観光案内所に行ってみたら、ちゃんとありました。

市観光局 http://www.gernika-lumo.net/

 まず、市役所の向かいにあるゲルニカ平和祈念館(Gernikako Bakearen Museoa Fundazioa)。入場料4ユーロ。爆撃にさらされる前後の写真を見比べたり、記録映画を上映したりしています。教会や議事堂が残っていたのはどうしてなのかと思ったのですが、廃墟となったのは線路に沿った地域だったようです。そして教会の右手の方には、絵を陶器に焼き付けて制作した壁画(Zeramikako Murala)がありました。公道に面しているので観覧無料です。

 ピカソ分を供給したところで、ゲルニカを離脱。ホテルに寄って荷物を受け取り、チップを0.5ユーロほど渡して駅に……行くと、列車が去っていくところでした(泣) 駅の横からバスも頻繁に出ているのですが、切符を買って改札を通ってしまったし。意地で、次の便を1時間待ちました。13時15分の列車に乗り(2.1ユーロ)、14時04分、ビルバオのアチューリ駅(Atxuri)へ。

バスク鉄道 http://www.euskotren.es/


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